RT100i立ち上げ期の販売窓口は、住商マシネックス中部でした。そこで販売側の技術責任者として、ユーザーとヤマハの両方をサポートしていただいたのが谷山亮治氏です。現在は株式会社匠技術研究所代表としてさまざまなネットワーク構築やプログラミング教育に携わる谷山氏に、当時のお話を伺いました。
ヤマハルーターに関わるようになったきっかけは、職場にかかってきたスカウトの電話でした。「中部」を「チューブ」と聞き違え、プラントのネットワークを作るつもりで面談に行き、吉井さん(当時住友商事名古屋支店次長)と出会いました。
吉井さんはRT100iの広告の素案を見せながら「今から我々はこれを売らなくてはいけないんです、どうすればいいか分かりますか」と尋ねました。今思うと大変失礼なことも含めて、必要な人材について率直に話をしました。私の年齢が募集条件から外れていたので、採用されることはないと思ってのことです。
ずっとネットワーク業界にいた私から見ると、全くネットワークのことを知らない人が通信機器を売ろうとしているという事実にまず驚き、そしてチラシを見た瞬間、これは絶対に売れると直感しました。
それまではエンタープライズやキャリアクラスの通信監視・制御システムに携わっており、そこで使っている通信機器とは異なり「一家に一台」の通信機器のあり方は、とても新鮮で「これなら急速に企業へ普及する」とぴんと来ました。
それまでに、ヤマハのISDNチップを使った通信機器開発の環境構築や、TCP/IPで結ばれたUNIX上で監視システムのプロトコルスタックを開発する業務に携わっていました。とても強い縁を感じたところに面談の翌朝に電報にて住友商事のルータープロジェクトへの参加の打診をいただき、RT100i発売開始から1ヶ月後の1995年4月に合流しました。
当時のルーターは外資系ベンダーしかなく、TCP/IPを日本の市場に入れようとしても、PC環境が追いついていない状況でした。Windows 3.1にはブラウザーもTCP/IPも入っていない時代です。
時代が急速に変わる中で、まず、事務所をリファレンス環境としてネットワークの整備を行いました。RT100iでIIJに接続し、インターネットと社内LAN、グループウエアやNetWareでのファイルサーバーを構築し、自分たちがネットワークに慣れることで、営業担当にも可能性を実感してもらいました。
ネットワークというのは使ってみないと分かりません。一つとして同じものはなく、それが面白さでもあります。
ISDNリモートルーター RT100i
ISDNリモートルーター RT200i
初期に苦労したことといえば、IPX対応があります。95年の春に製品が出たので営業に行ったのですが、当時は多くの企業のネットワークはIPXでした。どこへ行っても「IPXは使えませんか」「Netwareが使えれば買うんだけど」と言われたので、これは採用した方がいいと考え、95年7月頃に対応しました。
IPX対応したことで導入を決めていただいたお客様で印象に残っているのが、全国にチェーン展開している流通事業者様です。最初は全国のお店を束ねる地域センター間を結ぶネットワークに導入したのですが、RT100iでは多回線の収容ができません。そこで、ヤマハにセンター側には多回線ルーターが必要だとお願いしてRT200iが生まれました。
RT100iとRT200iで一年以上運用し、全く故障しない点を評価頂き、全店舗に導入することになります。1998年にRT140pとRT103iの組み合わせで、全国にある店舗をフルIPで結び始めました。
約6,000拠点への展開をわずか3ヶ月で完了できたのは、ホスト連動型の自動設定配信システム(今で言うゼロコンフィグ)をヤマハと共に開発したからです。当時、6,000拠点もの大きなネットワークをISDNという公衆回線で実現し、その特性を活かして設定を自動配信することでネットワークが出来上がる仕組みは、おそらく世界でも類を見ないものだったと思います。ネットワークの切り替えはとても緊張しましたが、発売直後のRT140pはトラブルなく見事に動きました。
我々とヤマハは車の両輪だと思っています。お客様に近いところの開発は自分たちで柔軟に対応します。それが可能だったのは、お客様の声を聞いて対応してくれるヤマハの開発部隊がバックにいたからです。私はお客様に対していつも「絶対につなぎます、何かあれば田中さん※1を連れて行きます」と言っていました。お客様からは「谷山さん、よく言い切れますね」と言われましたが、それはヤマハなら絶対になんとかしてくれるという信頼と安心感があったからです。
※1 ヤマハネットワーク機器開発者の田中氏のインタビューはこちら
マルチポート型ルーター RT140i
ヤマハが企業ルーターのメーカーとして認知された転機は、RT200iを出したことでしょう。センタールーターがあることで、カタログや構成図のインパクトが大きくなり、ヤマハが本気で取り組んでいることが事業者やSIerに伝わったと思います。
RT140シリーズが当初の企画でRT140i/RT140e/RT140pの3モデルになったのも、「ISDNではなくローカルルーターとして使いたいからイーサネットが2口欲しい」「センタールーターとしてPRIインターフェイスが欲しい」といったお客様の声に答えたものです。
RTX1000誕生のきっかけになった「インターネットVPNをISDNでバックアップする」というネットワーク構成が出てきたのも、ADSLが普及し始めたこの頃だったと記憶しています。「お客様にご相談をいただく関係」ができていたし、それが新しいラインナップにつながっていました。
ヤマハのルーターを評価してくださったのは、「企業内で困っていた人」だったと思います。ヤマハは設定例の公開やファームウエアの配布をインターネットで行いました。日本中どこでも、ヤマハなら助けてもらえるという大きな安心感がありました。
ヤマハのコミュニティーが成長した背景には、子供の頃から親しみのあるブランドで、誰もがシンパシーを感じることがあります。
ものづくりの基準も楽器と同じで、コンシューマー視点です。最初からとても品質が高かった。お客様に説明するのも簡単で、「ヤマハはステージで絶対に壊れない楽器を作る会社なのだから、ルーターも同じく絶対に壊れない製品を作るんです」と言えばすぐに納得していただけました。ファームウェアは調整しながらでも、ハードウェアは絶対に壊れない。それまでは壊れるのが当たり前だったネットワーク機器の市場で、簡単に壊れないものを作ったのだから、それはすごいことです。私が持っているRT100iは多少傷はありますが、今でも電源が入りますよ。
ヤマハルーターとの出会いは私にとって人生の転機そのものでした。ヤマハは製品もビジネスもネットワークもお客様と一緒に育てています。楽器とネットワークも似ていますよね。音楽も、楽器メーカーがプレイヤーと一緒に作るものです。そういうやり方はヤマハにしかできません。
「この製品はこういう仕様ですから」と言うのは簡単だけど、ヤマハは困っているお客様に対して「何をすればいいですか?」と歩み寄るし、緊急性が高ければすぐに対応します。だから相談したお客様も「自分が言ったことを聞いてくれた」と実感できます。ベンダーとユーザーの距離感がとても近いのです。
ネットワークはその日限りのものではなく、10年存続していれば10年一緒にいるものです。ヤマハは企業がその間ずっと使える製品を作っているんです。それってすごいことですよね。これからIPv6時代になると、ルーターに求められるものはきっと変わりますが、ヤマハならその時必要な機能を必ず実装してくれるはずです。それはこの20年で実証されています。
長い目で見れば今の「ルーター」と呼ばれる機器の役割はなくなるかもしれませんが、通信の「要」になる機器は必ず残るはずです。ヤマハは、これからも新しい通信の仕組みを、お客様と一緒に育んでいけるメーカーであると確信しています。
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