日本のインターネット創成期を牽引したWIDEプロジェクトの中心となって活躍された吉村伸氏は、RT100iの誕生と、ユーザーメーリングリストの立ち上げやその後の普及にも深くかかわっていただきました。当時のお話を吉村氏に聞きました。
私がヤマハルーターと深く関わることになった理由は、IIJ設立前、WIDEプロジェクトにさかのぼります。WIDEプロジェクトは日本のインターネットのバックボーンになるようなネットワークを自分たちで作っていました。当時はとにかく通信回線が高価で、WIDEプロジェクトの予算の約90%は回線代。国内回線と国際専用線を合わせて、おそらく年間数億円は支払っていました。
そのような状況でしたから、NTTがISDNサービスを始めた時には、64kbps、2B+Dで使えば128kbpsの回線がそこそこ安く引けるということで、そこにIPを乗せるということにはとても関心が高かったのです。なにせ当時は日米間が64kbpsで接続されていた時代ですからね。技術的には最新トレンドでした。「回線は64kbpsも出る優れたものがそこにあるのに使えない、どうにかならないか」という、とても強い要請があった。そこにヤマハのルーターがぽっと現れたんです。それは、飛びつきますよね。
ヤマハからのご相談は、ISDNのチップがあるのでインターネットに接続したい、というお話でした。IIJでPPPサービスを発表した前後の時期で、田中さん※1や高山さん※2達はモデム的なイメージがあったんだと思います。でも私はその話を聞いた時、64kbps、あわよくば128kbpsをフルスピードで使えるのにモデムレベルの使い方ではもったいない、きちんとしたIPネットワークを作りたいので「変なことをしないで普通のルーターを作って欲しい」とお願いしました。
「普通のルーター」というのは、常時接続のようにIPネットワークを利用できるルーターですね。大学ではUUCPやモデムを使う間欠接続ではなく常時つながっているネットワークが基本でした。それをなんとか作りたい、という思いです。
ヤマハのルーターが良かったのは、日本のISDNに合わせて開発されていたので、ISDNでできることはすべて実現できたことでした。
※1 ヤマハネットワーク機器開発者の田中氏のインタビューはこちら
※2 ヤマハネットワーク機器開発者の高山氏のインタビューはこちら
最初にお会いしてからプロトタイプが出てくるまではわりとすぐだったような記憶があります。確か大きさは製品とほとんど変わらない、グレーの筐体でした。長い間そのグレーのプロトタイプを使っていた記憶があるのは、おそらく製品開発よりも「出来上がった製品をどう商品として流通させるか」というところで一悶着あったからです。完成した製品を、とあるネットワーク機器ベンダーのOEMとして発売する準備を進めているという話を聞いて、私が大激怒したんです。
ヤマハとしては、いくら良い製品でもネットワーク機器を自社で作って販売するという実績はなかったから不安だったのでしょう。でも私は、一般の人にも良く知られたヤマハという良いブランド資産を生かさず、他社のOEMで売るなんてそれはありえない、もったいないと思ったんです。
そんな話をしているところに、たまたま鈴木さん(当時 IIJ社長)と吉井さん(当時 住友商事名古屋支社次長)がやってきまして、話を聞いた鈴木さんが吉井さんに「じゃあおたくでやってよ」と、本当に無茶ぶりですよね。でも、住友商事とヤマハは既に取引があったということで、じゃあやりましょうということになりました。
ISDNリモートルーター RT100i
こうしてRT100iは、製品はヤマハブランド、販売は住友商事、のペアで発売されたんですが、「売れないじゃないか」って一瞬不安になったのは本当に最初だけでした。最初は、田中さんや高山さん達が危惧していた通り、「ヤマハがルーターを作ったの?」と言われるわけです。秋葉原やそういう製品を扱っている人たちからは、ネットワーク機器ベンダーとしては、ヤマハは畑違いにしか見えなかった。
でも、その当時は私たちの口コミの方が圧倒的に強かったんです。IP接続の意味がちゃんと分かっていてインターネットをやっている人は限られていて、その人たち皆に配って回りました。大学の研究室の予算で買えるような値段で、ISDNで専用線と同じレベルでインターネットにつながるルーターが来たわけですから、みんな家に持ち帰ってISDNで大学につないで、周囲の人に「これいいよ」って自慢する。噂が広がるのに半年もかかりませんでした。
当時の価格がスペシャルディスカウントで198,000円だったと思います。その値段なら企業の人も「自宅にまず入れてみて、よければ会社に経費で導入する」ということができます。その当時はNTTもISDNがそんなに売れているわけではなく、データ通信回線としては活用されていない時代だったのですが、こうしてデータ回線として認知されはじめて、社内ネットワークに導入されるようになってきました。
実は、IIJのメーリングリストサービスの最初のユーザーはrt100i–users(RT100iユーザーズメーリングリスト)なんです。RT100iを配った人を全員リストに入れて運用を開始しました。
インターネットでファームウェアを配布するというのも、当たり前のように淡々とやっていました。新しいものができればインターネットで配るのは当たり前でした。使い方が分からないといえば教えてくれる人はたくさんいるし、気に入らないことはメーリングリストで文句を言えば次の日にはβ版のファームウェアが出てくるぐらい、やりとりは活発でした。
今でもヤマハのconfigはあちらこちらに出てくるし、ブログにもよく出てきます。この時期の活動を通して、日本では標準ルーターとしての地位を確立できたのだと思います。
RT100iは、ISDNルーターとしては非常に完成度が高くて、あるところからは不満はまったくなかった。ヤマハルーターはISDN時代に圧倒的に先行して、日本のIPネットワークの底上げをしてきました。
それは視点を変えれば、日本のISDNという特徴的な回線に特化しすぎていて海外には出られない、ということでもあったのかもしれません。通信サービスが国によって必ずしも同じではないのだから、そうなるのはある意味当然のことでしょう。ワイヤリングレベルのコアルーターのベンダーではなく、日本の通信サービスと強く結びついた製品を提供していく、それはそれで良いのではないでしょうか。
こうして振り返ってみると、入手ルート整備、日本語情報提供、リモートサポート、コミュニティなど、今では全部当たり前になっていますけど、その当たり前に20年前から取り組んできたのがヤマハなんですよね。
今、IPv4のアドレス枯渇問題で、IPv6への移行がいよいよ待ったなしの状況です。そしてIPv6に対応したNTTのNGNという、安くて最高に早いネットワークがあるのにほとんどのユーザーはその上でPPPoEしか使っていない。まさにRT100iが出た時のISDNのような状態です。ヤマハルーターには「日本のサービスを一番うまく使えるルーター」であり続けて、次はIPv6の時代を牽引して欲しいと思います。
東京大学おける最初の学内ネットワーク(UTnet)の構築にかかわる傍ら、村井純(現慶応大学教授)らと共にWIDEプロジェクトの中心人物として活躍し、日本のインターネット黎明期を担う。1992年にはインターネットイニシアティブ(IIJ/1999年 NASDAQ上場)の創業に加わり、日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)等を設立し役員を務める。1996年、メディアエクスチェンジ株式会社(MEX/東証マザーズ上場)を設立し社長に就任。日本に於けるデータセンターの草分け的存在となる。2011年にインテリジェントウィルパワー株式会社を設立、独自の発想と高い技術力による仮想データセンターほかを提供する。
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